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教えて暇な人、姫路城建てたの、だあれ?

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JR姫路駅を北側へ降りて、大手前通りを北へ、まっつぐ進んで、その突き当たり、
見えてくるものが「姫路城ビルヂング」であります、ぎょえー。
いま、平成の大修理中です。
見なきゃ損する、
ほんま、騙されて見学に来てほしい。
唖然するほど感動ものです、マジで。
ただ、行くときは
一声かけて鍵かけてで宜しく、誘ってね。

外観だけでも圧倒されてしまう。
初めて見た時、
マシンを運転中に、
驚いたのなんのって、慣れていない景色は異質で殊更に大きく浮かび上がるものです、びつくり。


質問ひとつめ。)教えて暇な人、姫路城建てたの、だあれ?

こんな質問いただいた。暇なので答えたげる、純情感傷を自負して、わたし、とっても良い人、表彰状くれ。

解説する。)君、どうせ暇なんだろ、きっと最後まで読みたまへ、そうして、

※答えについて、ひとつ。
誰なのかに、大工さんはふくまないものとする。宮大工とかもダメ。

いっとう初め、姫山に城郭を構えたのが赤松貞範、史上「嘉吉の乱」で追われた赤松満祐のお父ちゃんです、お父ちゃーん。答え出ちゃった?
砦。
小さい頃、作りましたやん、秘密基地。あれの完全版です。伝わりますか?ついて来て下さい。

はしょって随分のち、今の岡山県備前出自の、酒井商店さんの辺りですな、ふむふむ、黒田孝高(よしたか)が家督を継ぎますが、信長の命で播磨を平定した秀吉に、城をあげちゃいます、マジでー?。
代わりに、貰った知行地含めて、官兵衛の思惑狙い撃ち、時代なら、おへそ出して歌います。

地政的に優位を占める姫路の地を知り得たゆえの、「この地は、播磨の中心にして海運往来しきり、国主たるあなたこそ、ここに居わすべきです」(わたしの、ひねもすのたり釣りする室津の港ですな)、そう言って、機をみて敏、希代の軍師、司馬遼太郎の愛すべき黒田官兵衛こそ、若き孝高。

ここで秀吉は、天守閣を設けて外観三重、内部四階建ての城を築きます。三木城攻め入ったのち、商人、工人を呼び寄せて、今の三木市、金物の町の礎を築いたように、
今の姫路の民を駆逐することなく商人、工人を集めて城下町形成のいしづえを築いたのは、ずる賢さ満載で知られる秀吉さんだと言われています、実に巧妙です、わたし明珍火箸欲しいです。

史上、「本能寺の変」あたりの出来事です。ちなみに、主君を失い意気消沈の秀吉を奮い立たせ、本能寺へ向かわせたのが官兵衛だと言われています、表彰状あげる。

仇討ちにて散りぬるこそ本望の例え、赤穂の義士にも似て。

また後、史上「関ヶ原の戦い」後、
戦功により池田輝政が三河の国より移封されてきます。この輝政、家康方のエリートコースですからね、ウハウハです、イケイケ、
バッコーン、秀吉の城を壊しちゃいます。
建てたのが、
大天守、外観五層、内部六階を備えた、ほぼ今の姫路城の姿です。史上に「姫路」という地名がこの頃から使われるようになったと言われています。

また後、よそ者、桑名から移封してきた本多忠政の息子が千姫のために化粧櫓を建てたと言われています。

はしょった間の、それぞれ代代、子供とか家臣とか、赤の他人が城主を務めています、ご苦労さまです。

うだうだ連ねたやも知れぬ、済まない。
わたくし、季節の変わり目、狐さま、風邪ひいちまって、疲労困憊パインパインでもありますので、文章の推敲とか、いちいちの考察とかは明のお日様に委ねたままにして、
解説なんて、も無理。マジも寝ます、。
マジも無理。

わたくしごと、朝まで生テレビでめんどくさいのは、
各々の意見、つまり仮説が同じ前提論点で語られていないって部分です。つまり、

回答について)そもそも、何をもって「姫路城」であるのか、そこが、こたびの答えなのです、アーメン、ソーメン、冷やソーメン。その一点だけが明らかだ。

といって、新たな材料、例えば
「ぼく秀吉、信長君へ」みたいな手紙が発見されちゃったりしたら、過ぎたものであっても、歴史は今に至るまで大きく変わる。

そんな虜になってはみないか!

「姫路観光文化検定」で待ってる!


平成の大合併により、下村酒造店は
歴史ある宍粟郡から、歴史ある姫路市へ


おやすみなさい、
有り難き今日の日こそよ、
さよおなら、ブピー(ちょと、漏れてる気分)。

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mejijo
画像だけ貼り付けといて
あとで更新する予定ですが、
一般に予定は未定なものだったりしますよね、うんうん。

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